月裏一丁目一番地

太陽の光の当たらない月裏でひっそりと暮らしています

天邪鬼が住む場所

僕の頭の中には天邪鬼がいる。

 

優しくしたいのに意地悪をしてしまう。

 

褒めたいのに、邪険に接してしまう。

 

素敵な人なのに、疑念の心で見てしまう。

 

天邪鬼が顔を出すのはそんな時です。

 

wikiによると天邪鬼とは

『「人の心を見計らって悪戯をしかける子鬼」とされることから転じて、現代では「他者(多数派)の思想・言動に逆らうような言動をする"ひねくれ者"、"つむじ曲がり"」を指して、「あまのじゃく(な人)」と称されるようになった。』

一部抜粋ですが、こういうことです。

 

巷では犬や猫、小型哺乳類がペットとして人気ですが、僕は天邪鬼を飼っているんですね。

 

天邪鬼の好物は失敗や挫折、あきらめ、恨みといったマイナスな事。

 

だから、僕の天邪鬼はスクスクと成長しているんだろうな。

 

そのうち、パートナーを探して結婚して家族を作ってしまうかもしれない。

 

そうなる前にこのひねくれた性格を直して天邪鬼を追い出さなければ。

 

でも、天邪鬼がいなくなると僕はひとりぼっちか。

 

どうしよう。

ブログを書く理由

なんで僕はブログを書いているんだろう。

ふと考えてみた。

 

僕は、人に誇れるような人生を歩いてきたわけではないし、誰かの役に立つような知識もなく文章力もない。

そして、人生においての大義や思想を持っているわけでもない。

 

色々と考えてみたけれど、承認欲求を満たしたいという、よくありそうな理由に落ち着いた。

 

何度も書いているが、僕は人付き合いが苦手で、人前に出る時はほとんど演技をしている

だから、その時に誰かに認められても、結局は演技をしている自分が認められただけで、それは本来の自分からはかけ離れているので、ひたすら演技を続けることになり、さらに参ってしまう。

 

そんな僕だから、このブログで普段思ったことや本音を綴っていると誰かに読まれていても、読まれていなくても、自分の思いをぶちまけて発散している気になるんだと思う。

 

僕は幸せになりたいし、誰からも羨望の眼差しを浴びるような人間になりたいと望んでいるただの凡人だ。

非凡なものをもっているとすれば、それはマイナスの意味での非凡だろう。

 

だから、今日もブログを書く。

 

外では、吐き出しようもない行き場を失った自分の感情に居場所を作るために。

電車を待ってる時に起きたこと

僕がいつも乗っている電車は長くて15両編成、短いと10両編成になる。


だから、何も考えずボーッと待っていると、短い10両編成の場合は自分が立っているところに電車が止まらず、慌ててホームを走らなければならないことがある。


そのため、僕は電光掲示板や駅員のアナウンスをしっかりと見聞きし、次の車両数を確認する癖がついた。


今日、10両の電車が来る時に、15両の電車しか止まらない位置でボーッと立っている人がいた。
「確認不足だな」とか思って、心の中で、その人に勝ち誇り、嘲笑していた。


そんなことで優越感を感じるくらいに僕は人間性が歪んでいるんだと思う。


そして、その人に背を向け歩き出すと、ホームの柱に止まっているカラスから糞をかけられた。


カラスは「そんな小さなことで勝ち誇ってんじゃねーよ、優しくねーな」って僕に言っていた。


カラスの言う通りである。


僕は調子に乗った自分を恥じた。
本来ならその人に、次は10両なので、その位置には電車は止まりませんよと伝えたほうが良いのだが、流石にそれは出来なかった。
僕はカラスの糞がついた上着を脱ぎ、心から反省するのであった。

雨は止み、虹が出る

天気予報が外れ、今日はずっと雨が降っていた。


所用で出かけた僕は用事を済ませてすぐに帰る予定だったのだが、結構雨が強くて、カフェに避難した。
家を出た時は雨が降っていなかったし、天気予報は、雨が降らない予定だったので、傘を持っていなかった。


天気予報と止まない雨にイライラしながら、カフェで紅茶を飲み、本を読んでいた。


止まない雨。


どっかで見たことあるな。
デジャブかな。

違うな

何だっけな


あっ、これは僕の人生じゃないか!


大学を卒業して、就職して安月給で働きながら、転職を繰り返した。


止まない雨はないという言葉を信じながらずっと土砂降りの中を走ってきたのだ。


雨が止まないならば、雨宿りすれば良い。
そんなこと、僕は想像すらしなかった。
雨は止んで虹が出ると信じていたからだ。


そろそろ雨宿りをしようかな。

体はびしょびしょですっかり冷えている。

僕の人生の土砂降りは止む気配がない。

しばらくはこんな感じなんだろう。


そんなことを思いながら、カフェの窓から外を見ると雨が止んでいて、太陽が顔を出そうとしていた。

今日初めて見る太陽はとても暖かく優しかった。
どこかでは、キレイな虹が出ているかもしれない。


やっぱり雨宿りはやめた。
僕はもう少し土砂降りの中を走ろう。
僕の人生の虹が出ることを信じて。

僕を救ってくれた曲

僕を救ってくれたもので、外せないものが他にもある。

それは、音楽で、いきものがかりさんの「心の花を咲かせよう」だ。

 

この曲はシングル曲ではないのだが、ファンの間では人気が高く、ベストアルバムにも収録されていたり、節目となるライブで演奏されることが多い曲である。

 

僕の私生活は地味なので、何か壁にぶち当たったりとか、そんなことは全くなく、慎ましく生きている。

でも、仕事ではそうもいかない。やらなきゃいけないことがあって、それをこなす能力が足りない時は、泣きたくなるし逃げたくもなるし、とにかく辛い。

 

そんなとき、この曲を聴く。

優しいメロディと歌詞に励まされることはもちろんだが、仕事帰りにこの曲をイヤホンで聴いていると、自分がドラマの主人公になったようなそんな気がしてくるのだ。

ドラマの主人公ならば壁にぶつかっても必ず乗り越えていく。むしろ、壁にぶつかっているシーンが格好良く名シーンであったりする。

 

なので、僕はイケメン俳優のごとく振る舞い、必死になって頑張り、壁を越えて行くのである。

音楽は好きでよく聴くのだが、こんな気持ちにさせてくれる曲はこの「心の花を咲かせよう」しかない。

 

この感覚、他にわかる人はいるんだろうか。

思い込みの激しい僕なりの人生救出方法なのかもしれない。

僕を救ってくれた本

いつも幸せを探し求めている僕にとって自己啓発本は絶対に手放せないものだ。

でも、以前にも書いたが、僕には行動力が足りないので、自己啓発本を読んでも、実行するまでには至らず、結果的に自分の人生を変えることは今のところ、出来ていない。

ただ、自己啓発本を読むことにより、一時的な高揚感を得ているような気がする。

 

そんな僕だが、仕事のことで、とても落ち込んだり、参ってしまうこともある。

そんなとき、自己啓発本を読んでも、実行に移せない自分が嫌になって逆効果になってしまったりする。

 

ある日、僕はオードリーの若林さんが書いた「社会人大学人見知り学部卒業見込み」というエッセイを読んだ。

 

この本は、若林さんがテレビに出始めた頃のことをエッセイにしてまとめた本で、ややひねくれた表現があったりする。

 

でも、精神的に参っているときにこの本を読んでみると、自然と笑顔になっていて、自分を肯定できたような気がした。

肩肘を張って生きてきた僕の無駄な力を解いてくれるような気がした。

 

もちろんオードリーの若林さんは、テレビで大成功している芸人さんなので、僕とは天と地の差がある人だ。

なのに、不思議と親近感が湧き、僕は明日も頑張ろうと思えたのだ。

 

それから、芸人さんのエッセイをよく読んでいる。若林さんの本はもちろん、ハライチの岩井さんの「僕の人生は事件が起きない」とか、浜ロンさんの「ダ名言」とか。

 

どの本も僕に生きる勇気を与えてくれる。

 

今は、くりぃむしちゅーの上田さんの「経験」を読んでみたい。

 

朝の電車で横になって寝ている人 その2

以前、朝の電車で横になって寝ている人を羨ましく思うことがあるとブログで書いた。

 

その数日後、また電車の中で横になっている人を見た。

それなりに満員に近い車内で、一箇所だけ周りに人がいない場所がある。

そこの座席で40過ぎくらいだろうか。おっさんが横になって寝ていたのだ。

 

金の装飾品をいくつか着けていて、見るからに怪しい雰囲気のあるおっさんだった(僕の偏見ですが)

そのおっさんを見たとき、僕は電車の中で横になって寝ているのはとてもダサいことなんだと思った。

今まで、少し羨ましいと思っていたのは、偶然僕が見かけた電車で横になって寝ている人がみんな、スーツなど小綺麗な格好をしていたからなのだろう。

もちろん、小綺麗な格好をしていても、迷惑には変わりないのだが。

 

電車の中で横になって寝るのは迷惑以外の何物でもない。

僕はこれからの人生、電車の中で横になって寝ることは絶対にしないと誓うのであった。