人付き合いが嫌い
良い年をして何を言っているんだと思われるかもしれないが、人付き合いが嫌いだ。
仕事では、演技をしているので、とても人当たりが良いと言われていて、なおさら疲れる。
なぜこんなに人付き合いが嫌いなのか考えてみると、とにかく自分のプライドが高いんだと思う。
人から何かを教わったり、説明されることが嫌なのだ。
大人になると、人付き合いの中に、何かを教示されることが増えていく気がする。
それは、様々な年齢の人と接する機会が増えるからだろう。
何か趣味を始めると、教えてあげようかとか、聞いてもいないのにアドバイスをしてくる人が必ずいる。
そういう時は「まだ始めたばかりで、教えてもらうレベルにも達していないので」と丁重に断るのだが、心の中ではウンザリしている。
洋服屋に服を買いに行くと、頼んでもないのに店員さんが来て、「こちらは人気商品ですよ」とか、「これと合わせるととても良いですよ」とか言ってくるのに似てる気がする。
聞きたいことがあるときは、こっちから聞くのになあって、いつも思うんだけど、それはそれで、僕が自己中心的なんだろうな。
教えて欲しい時だけ、教えてくださいは、虫が良すぎる気がする。
まあ、僕が人付き合いを嫌う原因は、僕に問題点があるのはよくわかっているし、社交的な人間に憧れてもいる。
何か良い方法はないだろうか。
目的なんてくそくらえっ!
何かを始めるときに、目的を聞いてくる人がいる。
ランニングや、ジムに行って体を鍛え始めると、ダイエットが目的なの?とか、ギターを始めると女の子にモテようとしてるの?とか。
僕は飽き性なので、色々な趣味に手を出しているけど、新しい趣味を始めたことを周りに話すと、いちいち「目的は?」って言ってくる人がいて、面倒くさい。
そういう時に、「ただやりたかったから」と返答すると「あっそう、つまんないね」と返してくる人までいる。
僕にはよく分からないが、目的がなきゃ、何かを始めちゃいけないのだろうか。
ただやりたかったから始めたじゃダメなのだろうか。
もちろん、そんな風に聞いてくる人は少数だけれども、周りにいるとイラッとしてしまう。
目的を持って始めることは素晴らしいことだ。
でも、最初はやりたいから始めても良いじゃないか!
やっていくうちに、何か目的が出てくることだってある。
だって、世の中には楽しいことがたくさんあるんだから。
つづく
物事を評価するときに、その物事に付随するもので評価するのは悲しいことだと思う。
例えば、素晴らしい音楽があるとしても、そのマーケティング方法が気に入らないからと言って、その音楽そのものを否定するような、そんな行動のことである。
一時期、AKB48が握手券商法と呼ばれて、批判されいたが、彼女たちの楽曲だけを見れば、素晴らしい曲や歌詞の楽曲もある。
握手券商法ということだけで、AKB48の曲を否定している人を見ると、何事においても物事の良さを見ることができない人間のような気がして、嫌悪感を持っていた。
もちろん、好き嫌いには個人差があるので、そもそも嫌いって言うことであれば、それはそれで構わないと思う。
ちなみに、僕はAKB48のファンではない。
今日、いきものがかりの「WHO?」というアルバムをApple Musicで聞いていたのだが、このアルバムに入っている数曲が100日後に死ぬワニとコラボしている曲で、電通絡みということで、少数だと思うが、批判をされているみたいだ。
そんなこと関係なく、このアルバムは素晴らしい。
なので、下らない雑音には、耳を塞いで、このアルバムをたくさんの人に聞いてほしい。
ちなみに、僕はいきものがかりのファンである。
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カップラーメンを食べるときに思うこと
学生の時や、20代半ば頃まで、よくカップラーメンを食べていた。
でも、いつの頃かカップラーメンを食べなくなっていた。
たまに食べるとかそういうのではなく、10年以上全く食べていないと思う。
さらに、良い年をしてカップラーメンを食べる人を軽蔑さえしていた。
しかし、ここ最近、コロナ禍になって、非常食としてカップラーメンを買っていたので、ふと食べてみようと思った。
久々に食べたカップラーメンはおいしくて、その後は、たまに食べている。
自己啓発書や健康本が好きな僕にとっては、カップラーメンを食べることにやや背徳感があるのも事実である。
だけど、カップラーメンを食べると大人や社会に対して「くそくらえっ」と思ってた若い頃の気持ちも思い出す。
だから、「健康法なんて、くそくらえっ!好きなものを食べれば良いっ!」って思いながらカップラーメンを食べている。
カップラーメンを食べるのにそんな建前いらないんだろうけど、大人になった僕はカップラーメンを食べるのにも理由をつけなきゃいけなくなったのだ。
我ながら面倒くさいおっさんである。
朝の電車で横になって寝ている人
朝、電車に乗ると座席の上で大の字になって寝ているひとを一年に一回くらいのペースで見る。
周りの人はみんな迷惑そうにしているし、僕も同じく迷惑そうに眉をひそめてその人を見る。
でも、心のどこかではそんな人を羨ましく思っていたりする。
僕は、お酒の席でどんなに酔っ払っても、路上で寝たり、電車を寝過ごしたりしたことはない。
しっかりと家に帰り、翌日は二日酔いで頭痛がしても、家族以外に特に迷惑をかけたことがない。
真面目なのか、他人に迷惑をかけるのか怖いのか、とにかくそういう性分なのだ。
だから、もし、今なら電車で大の字になって寝れるっていうチャンスがあっても、そのチャンスを掴めずに、しっかりと座席に座って寝るだろう。
結局周りの人の目を気にして、ハメを外したりすることができないのだ。
だから、ハメを外してそうな人を見るとうらやましく思えてしまうんだろう。
たぶん、僕は人生で一度も思い切りハメを外したことがないんだろうなあ。
ぐうたらするのが苦手
仕事している時以外はぐうたらしている。
ぐうたらしているはずなのに、頭の中で色々なことを考えていて、精神的にリラックスすることができない。
なので、休日に、今日は絶対に心の底からぐうたらするぞって思って、世界遺産の写真集や、デザインの画集なんかを持ってきて、更に、ハーブティーなんかを用意して、ぐうたらしてみようとする。
でも、結局、スマホを触ってくだらないことを検索したり、翌日の仕事のことを考えたり、なんだか疲れてしまう。
どちらかというと、仕事から帰宅してからの1時間ほどの方が充実感のなかに、安堵が混じって、良いリラックス状態でぐうたらできている気がする。
結局は暇なときは、くだらないことに脳の力を費やして、ぐうたらできないのだと思う。
やはり、人間はそれなりのストレスと、それなりの疲労がないとぐうたらすることもできず、幸せを感じることも出来ないのだろう。
まあ、それは、あくまでそれなりのストレスとそれなりの疲労に限ってのことなので、社畜なんかには絶対にならない方が良い。
そんなことを考えながら、今日もぐうたらしています。
自己啓発
街を歩いていると、たくさんの広告が目に入る。
その中でも、特に目立つのは自己啓発本の広告じゃないかと思う。
僕は電車で通勤をしているのだが、電車内の広告によくそういう本の広告が出ているからなのかもしれない。
人生を変える3つの○○とか、なんとか式○○思考法とか、成功者がしている○○の習慣とか、本当にたくさん出ている。
僕は本を読むのが好きで、自己啓発本も結構読んでいる。
そして、そういう本を買うときや読んでるとき、あー自分は人生を変えたいんだなって、実感する。
でも、人生を変えたいなって思いながら、自己啓発本を読んだところで、今のところ僕の人生が変わったとか成功者になったとか、そういうことは全くない。もちろん、僕の努力が決定的に足りないので、そういう本を読んで成功した人はたくさんいるのかもしれないが、とにかく僕は読むことに満足して、行動力が足りないのだと思う。
でも、人生を変えたいってずっと思ってることは悲しいことなんだと思う。
今日からは少し自分の人生や今の自分自身を認めてあげるようにしよう。
あれっ、なんかこんな言葉、自己啓発本のどこかで見たことあるような気がする。
やはり自己啓発本は効果があるのかもしれない。
そんなことを思った春の朝でした。